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2022.07.23

番外編 明石海峡大橋から淡路島 「 鱧三昧の旅 」

顧問の坪内です。

いつも池本工務店の事業にご支援・ご協力いただきまして、ありがとうございます。

同郷の高見さんから電話があり
「 次の日曜日、予定があるの?
「 ないけど 」
「 ワクチンの3回目の接種券はあるの?
「 あるけど 」
「 淡路島の鱧旅行の欠員があるので行く?
「 行く 」
てな訳で、『 551の蓬莱 』のコマーシャル会話の後「淡路島」に行くことになりました。
旅行会社のバスと明石大橋の淡路サービスエリアで待ち合わせ乗車しての旅行です。

淡路島は50年ほど前、毎月外壁材の営業で訪れていました。
当時はまだ明石海峡大橋が無い頃、堺の寮から車で明石港まで走ってフェリーで岩屋に渡ります。
確か僅か20分ほどの距離でしたが、一時間ほど待って渡ります。
あの頃はもう、島根県出身淡路育ちの渡哲也・渡瀬恒彦兄弟は居なかったようですけど。
それから東廻りで、津名を通って洲本の販売店に行き、
2
3日の行程で、淡路島の建築会社・工務店さんへの同行販売でした。
泊りは何時も『なべ藤』さんです。
『なべ藤』さんは「谷崎潤一郎の『蓼食う虫』の旅館」で有名な、
常宿なので安く泊めて頂いていました。
宿の窓から玄関前の道を、左側 (確か北側 ?) に目を移すと小舟を係留してある港が有ります。
宿の主人から説明を受けました。
ガラスのケースに収められた文庫本に

淡路島は人形浄瑠璃の本場であり、大阪で文楽を創始した植村文楽軒が出たところでもある。だから、淡路島への旅は、文楽のルーツ、小春やお初(「曽根崎心中」)、梅川(「冥途の飛脚」)の誕生の場(トポス)へと溯(さかのぼ)る旅となる。
 三人は、洲本の港にある「なべ藤(とう)」という宿に泊まる。
 晴れ渡った海はじーっと視(み)つめると瞳の前が黒ずんで来るほど真っ青に和(な)いで、船の煙さえ動かないような感じであるが、それでも時たまそよ風を運んで来るらしく、障子の破れが紙鳶(たこ)の呻(うな)りのように鳴って、膝(ひざ)の上のビラがかすかにあおられる。


同行の仲間たちと食事をし、どこか近くに有るスナックへカラオケに行ったような、昔のお話です。

そんな昔の話を思い出しながら明石海峡大橋を渡ります。
雨上がりの海峡はぼんやりと雲がかかっています。
平成7年の地震時には、淡路島と明石の間が1mも伸びたとか。
また、『明石海峡大橋』には、遠方の九州等のから友達が来た時には
「大阪・京都・奈良」の観光には又来れるけど、明石海峡大橋までは中々なので、
夜中に車を飛ばして、連れてきたものです。


       いざ、淡路島に鱧退治

淡路サービスエリアでバスに合流します。
何故か、おっさんのバスガイドなのに 「淡路島『べっぴん鱧尽くし5品料理』と花と香りの島スポットめぐり」旅なのです。
絶品(ぜっぴん)鱧尽くしだったのではないかと思います。

まずコロナワクチン3回接種の証明書を提示します。
そして、別に住所氏名を記します。
このツアーは【ふるさと応援!ひょうごを旅しようキャンペーン+】5000
兵庫県・京都府・大阪府・和歌山県・滋賀県・奈良県・鳥取県・岡山県・香川県・徳島県に居住している人は5000円引きとなるのです。

       さて何処に行くのかな

娘さんに「鱧の名前の由来は、食む(はむ)にから来たらしいですね。」
と教えて頂きなるほどなるほどと思ったのです。
一番納得する説の様ですが、まだ別にあるのかと調べて見と、「歯持ち」に由来する説、
中国語の「海鰻」(ハイマン)に由来する説、マムシに姿が似ていたことから蝮(ハミ)に由来する説、食感が「はもはも」しているから、という説、口を張ってもがくことに由来する説など諸説あるらしいです。
ここは最初に教えて頂いた説をやはり信じる事にし、洲本までバスは参ります。

鱧料理の目的地『松葉寿司』に到着します。
2
階の広間に通されると既に鱧はお待ちかねです。

*右奥に鱧の炙りとサラダ
*
正面奥に鱧鍋の材料と左に醤油味の鍋 (レタス・玉ねぎ・エノキ・春雨)
*
その右に鍋用の鱧の子
*
真ん中に鱧の湯引きと梅肉
*
手前左に鱧の子煮つけ

       賑わいのある鱧の御前


そして鱧の天ぷら、これはやはり熱々でなくては
天つゆで頂きます。


      あつあつの鱧の天ぷら


京都で、何故ハモを食べる文化が発達したかについては、諸説あるようです。
良く言われるのが、生命力の非常に強い魚です。
そのため輸送技術が発達していない時代でも、瀬戸内海で採れたハモを、
夏の食材が傷み易い内陸の京都まで生きたまま輸送できのだと思われます。

さて、鱧料理で一番厄介なのは「骨切り」ですね。
「一寸(約3cm)につき26筋」包丁の刃を入れられるようになれば一人前と言われるようです。
骨切の発祥は中津の漁師と言われているようで、何らかのルートで京都に伝わり花開いた文化と思われます。
骨切りの技術により京都ではハモの消費が飛躍的に増えたようで、
関東では骨切りができる調理師も少ないので、
東京から来た人に「鱧しゃぶ」を食べに行こうと誘っても、

食べたことが無いとの悲しいお答えです。

お待たせしました「鱧鍋」です。
野菜を入れて、少し煮立ったら鱧の投入です。
出来れば玉ねぎはもっと量が欲しかったですね。

     鱧鍋です、もう少し玉ねぎが


最後は甘辛く鱧を煮たものが
そぼろ煮のように載せてある鱧ご飯です。
思ったよりは美味しくいただきました。
大阪では締めは「出汁の中にそーめん」なのですが。
本場「淡路島は少し異なりました。」



       鱧のそぼろ煮のご飯


食事が終わると「パルシェ香りの館」へ
フクシア大温室の入り口です。
香りのテーマパークと呼ばれる温室の中には多くの花々が咲いていました。
ここは満喫と言うよりもほんの素通りという感じで香りの印象は有りませんでした。

   こんな感じで温室に入ります


そして、「あわじ花さじき」
大阪湾を一望する光景です。
今日は曇っていたので、大阪や生駒を観えませんでした。


      「あわじ花さじき」の眺望


会社へのお土産は定番の「タコせんべい」の小袋入りです。
お嬢様たちが競って食されました。