ブログBlog

2022.08.20

番外編 「 宝林寺・住之江 」 と阪堺電車

顧問の坪内です。

いつも池本工務店の事業にご支援・ご協力いただきまして、ありがとうございます。
連れ合いが亡くなって25年が経ちます。

毎年お盆の時期には 「宝林寺」さんにお参りします。
「宝林寺」は住之江区安立にあります。
この「安立」という地名は元和年間名医の典薬頭・半井安立(なからいあんりゅう)が住み、
皆が集まって来た町とか、なかなか良い話です。

「宝林寺」は葬儀屋さんの紹介でお世話になるようになりました。

現在のご住職はお勤めを始められて、もう40(還暦)になるそうです。
さて、もう解禁しても良いような、20年も前のお話です。
先代のご住職に月命日に来て頂いていた時の事、
何時もの様子でお経をあげて頂いていたところ、急に途絶えて沈黙の時が・・・・・・。
「すみません、忘れてしまいました。」と。
と言う訳で、次の月から今の住職に変わられました。

            威徳山賓林寺山門


本堂を新築されてから、お盆には檀家さんが集まって、
8
12日の朝8時、10時と夕方の4時から
15
日までのお盆の間檀家の皆さんで集まってお経を唱えます。
そしてご住職の法話です。一時間程で終わります。
この盆の間中は檀家さんのお各家へのお参りは有りません。
この本堂が出来てからは、この様な形式で行われてきました。

         宝林寺の本堂


コロナの影響で3年ほど前からは、
紀州街道を100m程住吉大社側に寄った向かい側にある
「宝林寺記念会館」で、接触距離を開けて、広く椅子を分けての会場となりました。
コロナ発生以降、ちょっとした集会や催しが中止になり、
人間関係も複雑になりました。
すべからく「ご安全に」。


     ご住職にお礼を言って


紀州街道はその昔は大坂・高麗橋から堺筋を南に下り、天下茶屋、住吉大社までの住吉街道から
和泉国大鳥郡にある宿院頓宮へ向けての神輿の巡行路でもあったようです。
さらに時代と共に紀州・和歌山へと繋がったようで、江戸時代は大名や商人たちの往来で賑わったと言います。
紀州街道のすぐそばまで海岸線が広がり、白砂青松の景勝地で有名だったとか。
お寺の近所には「霰(あられ)松原」と呼ばれる名所もあります。
因みに太閤秀吉は堺までよく遊びに行き、途中の「天下茶屋」で一服したのでその名が残ったとか。
なるほどなるほどと言うところです。
と言う訳で紀州街道を住吉大社方面に進みます。

      紀州街道を北に


細井川を渡る手前を右に曲がって少し行くと
阪堺電気軌道阪堺線の「細井川」の電停が有ります。
今は細井川と呼ばれていますが、正式名称は「細江川」らしく、
古代は「住吉の細江」と呼ばれた入り江であり、
住吉津があったと言われていたようです。
お伽話の「
一寸法師」が都へと旅立ったのも、この「細江川」だったとされているのです。

      阪堺電車「細井川」駅


阪堺電車やチン電の名で親しまれている「阪堺電気軌道」は、
大阪(天王寺・恵比須町)と堺市(浜寺公園周辺)を結ぶ路面電車です。
因みに下の地図を見ますと、
天王寺から浜寺公園と恵比須町から住吉車庫前の2線あり、
住吉大社から住吉車庫前が並列にダブっています。
その歴史は古く、前身は大阪馬車鉄道で、897(明治30)年5月に設立されて、
軌道に乗った客車を、馬が曳いていたらしいです。
明治初期から中期にかけて全国で敷設された馬車鉄道の1つだったようです。

       阪堺電車路線地図


チンチン電車は紀州街道に沿って堺のまちを走り抜けているのです。
電気で軌道したのが、明治44年とされており、電気にこだわる人は10年遅れとなる訳です。
「あっ」電車がやって来ました。


     到着しますチンチン電車


乗車したら次の駅が「住吉鳥居前」です。
正面には鳥居と反橋(太鼓橋)が見えます。
「細井川」駅で話した
『一寸法師』を祭った神社が境内の左側奥に有ります。
実は私は住吉大社が発祥だとは知らずにいたのです。
息子が連れて行ってくれて、授かったのが孫だったらしいのです。
昔の『御伽草子』に出てくるお話のようです。

       住吉大社鳥居前


暫らく電車に揺られて「帝塚山三丁目」の電停を過ぎると、
右側にうどん屋さんが見えます。
コント赤信号の「石井」さんの実家であるめん処「いし井」です。
30
年ほど前には何度か行きましたが、
住んで居た「塚西」から少し遠かったので、疎遠になりました。