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2023.04.01

建物の外部被害に関わる資料 その 13 『 竜巻 ⑬ 』

顧問の坪内です。

ミスター・トルネードとして著名な藤田哲也博士(シカゴ大学特別貢献名誉教授)のお陰で、
私たちは台風や竜巻に関する知識を得ることが出来ます。
藤田博士の略歴は以下の通りです。(ウィキペディア・福岡管区気象台のHPを参考にしています)

1920
(大正 9 )年1023日 小倉南区中曽根生れ
1939
(昭和14)年 3 月 小倉中学校(現小倉高校)卒業
1943
(昭和18)年 9 月 明治専門学校(現九州工業大学)機械工学科卒業
1945
(昭和20)年 8 月 長崎・広島原爆被害調査
1947 (
昭和22) 年824日 佐賀県脊振山の「下降気流」を観測
1953(昭和28)年 8 月 Byers 博士招聘によりシカゴ大学客員研究員として渡米
1965
(昭和40)年10月 シカゴ大学気象学教授に就任
1971
(昭和46)年 2 月 竜巻強度の世界基準となるF
Scale(藤田スケール)を考案
1975
(昭和50)年 6 月 イースタン航空66便墜落事故の原因調査から「ダウンバースト」を発見
1989
(平成元)年 シカゴ大学チャールズ・メリアム特別貢献教授の称号授与
1990
(平成 2 )年 5 月 日本気象学会藤原賞受賞
1991
(平成 3 )年 4 月 勲二等瑞宝章受章
199(平成7 )年 4 月 野茂英雄がロサゼルスドジャースで、トルネード投法でのデビュー(1998年まで)
1998(平成10)年1119日 永眠(享年78歳)

竜巻シュミレーション装置と藤田哲也博士(福岡管区気象台HP)


ちょっと関係ないことですが、
藤田博士が生まれたのは1920(大正 9 )年で私の親父が生まれた年と同じです。
丁度、100年前で世界中にスペイン風が流行した時代です。
「下降気流」を発見された年は1947 (昭和22)年で私の兄が生まれた年です。
そして、「藤田スケール」を発表された1971(昭和46)年は、
私が屋根に関わる1年前で、建築基準法の施行令改定で高さ基準13m以上に
= 1204√hの式が採用された時となります。
(13m
未満はq = 60√h)
「藤田博士」がすばらしい発見をされたのは脊振山の「下降気流」です。
1947 (
昭和22) 年824日 佐賀県の脊振山で「下降気流」を観測されます。
背振山は福岡県と佐賀県の県境にある山です。
私は1985(昭和60)1990(平成2)まで九州に赴任していました。
下図は福岡市、鳥栖市、久留米市、佐賀市と
背振山とその南にある吉野ヶ里遺跡との位置関係を示したものです。
1986(
昭和61)年「吉野ヶ里遺跡」が発見され、
歴史好きの私は何度か吉野ヶ里遺跡を訪ねました。
背振山の何処かからは神埼の吉野ヶ里遺跡が良く見え
昔からの全体の眺望を眺めたかったのです。
その折、背振山を通って福岡に帰った事があります。
その頃私は、まだ藤田博士のこのような功績と
背振山・竜巻(下降気流)の話を知りませんでした。
背振山は博多湾と有明海の丁度中間の位置でもあります。

福岡・背振山・吉野ヶ里・佐賀(グーグル写真を加工)


背振山での「下降気流」の発見の話を西日本シティ銀行のHP九州工業大学名誉教授侑嗣氏と西日本シティ銀行取締役専務執役員川本 惣一の対談として載せられていますので一部を拝借します。

藤田博士が明治専門学校の助教授の時の話のようです。
博士は脊振山頂測候所の観測小屋で、
大谷和夫所長と助手の三人で雲の観測をされていたのです。
脊振山麓の南西から強い積乱雲(入道雲か ? )が吹き上げ、
背振山の南西部は丁度佐賀市辺りです。
山頂上空に達して強風が吹き、気圧計が激しく変動したと言う事です。

                背振山山頂


測候所の自記計が捉(とら)えた風と気圧変化のデータを詳細に分析して、
上昇気流に乗って空高く発達した積乱雲の下部の脊振山頂の高さに、
今まで知られなかった「下降気流」があることを検証されたのです。
上昇気流でなく、下降気流があることを発見されたのが素晴らしいことなのです。

        背振り山からの眺望


積乱雲と入道雲の話です。
夏の暑い日には、空気は地面で温められて上昇します。
上空は冷たいので、上昇した空気は冷やされて結露します。
これが前々回学んだ入道雲です。
そして、更に大きくなり空全体を覆ってくるのが積乱雲です。
(
前々回の竜巻の発生の所で学んだことが役に立ちます)
結露は衝突を繰り返して大きくなると雨滴になります。
もっと冷たくなると雹(ひょう)や霰(あられ)になりますが、
これらは重いので、上昇気流の中でも落下します。
その際、周りの空気を引っ張り込んで、「下降気流」が発生するのです。
そして、下降気流が乾いた空気の層を通ると、
冷やされてさらに重くなり、下降速度が大きくなるのです。
ダウンバーストはこの下降気流がとても強いものなので、
まるでバケツの水をひっくり返したようだと言われています。
その様子を描かれたのが下記の図です。

昭和22年(1947)脊振山頂で観測された雷雲の断面)


気象学界初のすごい発見でした。
博士はこの発見を「雷雨の鼻の微小解析研究」として、
西日本気象研究会で発表されたのです。
だが残念なことにすばらしいこの論文に学界の誰も見向いてくれないのです。
まったく評価されなかったのです。
だが、この観測が、アメリカ・シカゴ大学の気象学の権威者、HR・バイヤース教授(19061998)の
下降気流発見と同時期のすごい発見だったのです。

さて藤田博士は何故背振山で下降気流を観測しようと思われたのでしょうか。
佐賀県の竜巻の資料を探していると『九州及び山口の竜巻の発生について』と言う論文を1974227日受理として佐賀地方気象台の鳥越準氏と熊谷地方気象台(前佐賀地方気象台)舘知之氏が書かれていました。
(青字は鳥越氏・舘氏が書かれた論文そのもので、赤字はその中で興味ある個所です)

1. 19477327年間に,九州および山口県に発生したたつまきを, 気象要覧,福岡管区異常気象報告ならびに各県災異誌等を総合して収集し,これらの地方における,可能な限り正確なたつまきのリストを作成して,これに基づく統計的な調査を行なった.
2.
 192773 ( 1942 46は除く)42年間に,福岡県・佐賀県の南部および熊本県北西部に発生したたつまきの,地域的特性についても簡単に調査した.
3.
 最後に, 19721120,佐賀県鳥栖市に発生したたつまきの状況,総観解析およびレーダー解析について
の調査を行って論文を書かれています。

日本におけるたつまきの調査,研究は,陸上,海上を含めて,昔から多くの方々によってなされており,とくに,近年首都圏において発生した著しいたつまきについては,詳細な調査結果の報告が出されている.
また,最近シカゴ大学の藤田博士による世界ならびに日本のたつまきについての著書が出版されたが,この中にはアメリカのトルネイドーについて,数々の興味ある事実が記されている.
一方,九州および山口県のたつまきについては, 1927 ~ 58 ( 1942 ~ 46は除く)27年間の資料が,福岡管区気象台調査課でまとめられている.また,宮崎県は九州で最もたつまきの発生が多いが,木ノ脇・脇田( 1970) , 1934 ~ 6431年間に発生したこの県のたつまきについて調査した.
ところで,藤田博士の著書には日本のたつまきについて,各地方別・県別の詳しい記述があるが,この中で,
佐賀県では1950 ~ 7122年間に1個も発生していないことになっている.もともと,たつまきはきわめて局地的なものが多く,かつ寿命も短かいので,気象官署の観測や報告だけでは,過去の正確な発生数や状況を把握することが困難である.したがって,よりどころとする資料によっては,発生個数その他いろいろな点で違いが出てくることは当然であろう.

2.
九州および山口県に発生したたつまき1947~ 73年に発生したたつまき発生場所を示したものである.
陸上のたつまき(tornado) 113,海上のたつまき (waterspout) 21,合計134個で年平均の発生は5個である


その中から下表に佐賀に関する竜巻を抽出して表としています。
黄緑色の枠で囲っているのが佐賀県内で発生した竜巻です。
その中で1947710日に2回の竜巻が発生しています。
その次は195089日です。
藤田博士が背振山で「下降気流」を発見されたのは1947824日です。
下の表の中では赤色枠で囲っています。
藤田博士は7月に2回も竜巻が発生している背振山の南西方向に狙いを定めて
観測をされたのではないかと推測します。

  昭和22年(1947)脊振山頂で観測された雷雲の断面図


藤田博士の著書には日本のたつまきについて,各地方別・県別の詳しい記述があるが,この中で, 佐賀県では1950 ~ 7122年間に1個も発生していないことになっている.とありますので、上記資料の19551956年の資料は入っていない事になります。

更に1972年から今日までの佐賀の竜巻については次回にお話しします。
藤田博士はこれらの事実より考えると、偶然と言いながらも良く背振山で「下降気流」を発見されたなと思うのです。

今日はこの辺りで失礼します。

ありがとうございました。