2023.10.28
ホテル内は西洋の空間ですが、
造りは日本の伝統的な工法、技術が随所に見られます。
ホテル客室への廊下は赤い絨毯に
白い漆喰の壁が左右に広がります。
そして格天井はいにしえの時代に誘うように続いています。
とは言いながら私は宿泊者でないので
ここから中には入れません 「トホホ」
2階の廊下
玄関の上の吹抜け部から
先ほどの上村松園の「花嫁」を撮影します。
やはり予想通り、表面のガラスに余分な光は入りません。
同時に右側の鳥居付きのマントルピースを撮影したのが
①のブログに載せた写真となります。
正面玄関上の窓から覗くと
3台のバスが止まっています。
やはり大勢の人を連れて来ないと
このホテルは中々採算が合わないのでしょうか。
前を見ると古くから置かれているらしいテーブルと椅子があります。
この空間にこれだけの物を並べると少し窮屈な感じもします。
私も少し座ってみます。
明治時代から訪れた著名人も
ここで外を見ながら奈良を楽しんだのでしょうか。
趣のある椅子とテーブル
上の写真窓の右側の南窓を見ると
奈良の南への街並みが広がっています。
その手前は日本建築らしいいぶし瓦です。
正面玄関の真上になります。
水平の大棟には段積の熨斗瓦の上に
角桟伏間(雁振)瓦が使われています。
ケラバ部の降り棟も立派で風格があります。
ここの棟には「鴟尾」は付いていません。
いぶし瓦の水平大棟
2階から日本料理「花菊」のある新館玄関に続く大棟の連なりです。
各々の棟の端には「鴟尾」が取り付けてあります。
新館なので金吾のアイデアを引き継いだ「鴟尾」ですね。
建築家は師匠や憧れの人から色々なものを引き継ぎます。
それが良いように言われる時と
ただ単に真似したと言われる時があります。
中々難しいお話です。
「鴟尾」付の棟が連なります
2階の客室へは進入禁止なので1階に下りる事にしました。
ついでに、ここのトイレはどの様なものかを調べる事としました。
さすがに、綺麗に整った洗面所から小便器側を覗くと
なんと隣の人とアレを比較できない構造となっているのです。
何時の時代の改装から、
このような構造になったのか興味のあるところです。
トイレの小便器と言えば強烈なお話があります。
10数年前、台湾の故宮博物館に行った時のお話です。
入場者が多くて列を作って、待っている時にトイレに行きました。
男子の小便室に入ると
なんと小便器前の壁は高さが1m少ししかなく、
前の人と向かい合ってするのです。
小便をしている時は何となく下を向いていますが、
終わってしまうと向かいの人と顔が合います。
目と目で「あー、どうも、どうも」と言う感じでした。
お向かいの大便所から写真を撮ると下の写真右の感じです。
やはり少し上品な感じがします。
お隣の「アレ」は確認できない小便器
一度引き返してロビー「桜の間」に入ります。
望月春耕江「花鳥」、堂本印象「神路山」、結城素明「風景」が掛っています。
そして目的の一つのアインシュタイン博士が弾いたと言われる「ピアノ」です。
1900 年頃製作されたニューヨーク・ハリントン社製アップライトピアノ。(奈良ホテル HPより)
アインシュタイン博士は1922 年総合雑誌『改造』の発行所
改造社の社長 山本実彦(さねひこ)氏の招きで講演旅行にエルザ夫人を伴って来日。
40 日間の船旅途中、船上でノーベル物理学賞受賞の連絡を受けました。
43 日間の日本滞在中に各地の大学など10 カ所で講演を行い、
奈良では当館のご宿泊や奈良公園と東大寺の観光を楽しまれました。
1922 年12 月17 日~ 2 泊ご宿泊され、その際にこのピアノを演奏されました。
戦後行方不明でしたが、大阪鉄道管理局庁舎に持ち出され、
1992 年に交通科学博物館に移動されたものが奈良ホテルのものであると確認されました。
脚部には当時ホテルを経営していた鉄道省の動輪マークが施されています。
アインシュタイン博士が弾いたピアノと説明文
マントルピースは玄関、客室等主な居室に設置され
当初は使用されていたようです。
それに代わり大正天皇即位記念で
全館セントラルヒーティング化された際に
スチーム暖房が取り付けられました。
本館のあらゆるところに設置され使用されました。
表面には彫刻を施された模様になっています。
残念ながら現在は使用されていません。
随所に施されている暖房スチーム
鉄道院・鉄道省直営時代(大正2年~昭和20年)(奈良ホテル HPより
)
迎賓館時代ともいえるこの期の奈良ホテルは、
賓客を迎える度に改装をしています。
奈良ホテルを訪れた世界的著名人としては、
大正11年にエドワード英国皇太子、昭和12年にヘレンケラー女史、
各皇族方や当時の首相の多くも来館しています。
昭和期に入ると次第に軍事色を帯び、満州国皇帝、ドイツカチス党幹部、
イタリアファシスト党幹部の来館が相次ぐようになります。
戦時中、空襲警報があるとドラを鳴らして客に知らせ、
防空壕に逃げ込んだとのことです。
その当時の写真が下記です。
100年前の「三笠」の様子
そして今回、私たちが同じ部屋「三笠」で
フランス料理を頂こうとしているところです。
画像を少し修正して、昔の雰囲気を出して見ました。
当日の「三笠」の模様
さていよいよフランス料理の登場です。
ありがとうございます。