2024.02.24
道造の鉛筆・ネクタイ・窓という小文が残っています。
この小文はヒヤシンスハウスを描いたものとされています。
僕は、窓がひとつ欲しい。
あまり大きくてはいけない。
そして外に鎧戸、内にレースのカーイテンを持つてゐなくてはいけない、
ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない。
窓台は大きい方がいいだらう。
窓台の上には花などを飾る、
花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。
そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。
湖水のほとりにはポプラがある。
お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐる。
湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし青の強い色だ、
そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、
その雲ははつきりした輪廓がいくらか空の青に溶けこんでゐる。
僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に座つてうつらうつらと睡つてゐる。
タぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。
僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。……
グーグルで見ると「片流れ屋根」の「ヒヤシンスハウス」半分は樹木に掛かっています。
見えている屋根へは冬場の放射冷却でかなり冷やされるものと思われます。
この建物での軒天の傷みは如何かと気になるところです。
別所沼の模索ヒヤシンスハウス(グーグルマップ)
アントニンレーモンドはチェコソロバキィア生まれです。
1910年にアメリカへ移住して、姓をレーモンドに改姓しています。
フランクロイド・ライトの事務所に入所して、1919年、帝国ホテル設計でライトの助手として来日します。
今でも有名なものには軽井沢のイタリア大使館中善寺保養所があります。
下の写真の「片流れ屋根」はレーモンド設計の「夏の家」です。(長野県軽井沢町、1933年)
元々はレーモンドの夏の事務所としても使われていたようです。
その後、日本火災海上宿泊施設として使用され、軽井沢タリアセン敷地内に移築されました。
今はペイネ美術館として一般公開されています。
軽井沢にあったこの建物は立原道造が大学に入る前に出来ています。
道造は何らかの伝でこの建物を見ている可能性はあります。
何となく「ヒヤシンスハウス」を連想しそうです。
アントニオレーモンド「夏の家」 「夏の家」(現ペイネ美術館)
「ヒヤシンスハウス」は別名「風信子荘」と言い、ギリシャ神話から来ています。
「風」は立原道造を語るキーワードです。
別の意味で私も「風」を追い続けています。
このブログも「建物の外部環境に関わる資料」からの流れ「竜巻」「速度圧」「台風」「換気」「通気」等のお話です。
余談ですが私も25歳の時、立原道造と同じ結核になり入院しました。
結核の予兆としては「空咳」が出、「夕方に微熱」が出、「夜中に寝汗」が出る事です。
「パス」「ヒドラ」「ストレプトマイシン」 + 「?」の4種の薬で、
なんとか早死にすることは免れました。
「?」は当時医者からは教えていただけなかった試供薬です。
高校の時の友人からは「いくら好きでも同じ病気にまでならなくても」と揶揄われたのです。
「片流れ屋根」から50数年前の事を色々と思い出しました。
どうもありがとうございました。