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2024.02.24

建物の外部被害に関わる資料 その 40 『 台風21号 ➉ 』 (立原道造とヒヤシンスハウス)

顧問の坪内です。
いつも池本工務店の事業にご支援頂いてありがとうございます。

前回の上位3つのパターンのうちの三番目は
③の片流れです。
今回は1方向に勾配がある片流れ屋根です。
片流れ屋根は一枚の屋根が一方向(東西南北)に傾斜している屋根形状です。
どちらの方向に勾配を付けるかで大きく機能が変わって来ます。
単純で簡単形状ですので、若い人に受け入れ易く、狭小地や低コスト住宅として人気が出ています。
一方、この考え方が極端になり軒の出、ケラバの出の少ない屋根が出来上がり、
雨漏りや結露の多い住宅とされています。
片流れ屋根のメリット
①大きな太陽光パネルを搭載(南面に勾配を付ける)
大きな太陽光パルネルを取り付けられることが挙げられます。
片流れ屋根は太陽光パネルの設置面積が広くなります。
我が家は東西面の切妻屋根の、発電効率が普通の形状です。
初期費用が安価
平面の形状が単純な長方形なので設計・施工も単純で初期費用が比較的安価になります。
一方向に流れるシンプルな屋根形状のため、他の屋根タイプよりも材料・工事費用も抑えられます。
③屋根裏に大きな空間を確保
片流屋根は屋根の高い部分と天井の間に比較的大空間を設けられこのスペースを有効に活用が可能です。
収納空間としても使えるため、生活空間を削らずに収納スペースを確保できます。
片流れ屋根のデメリット
①屋根()や外壁が劣化しやすい
片流れ屋根は屋根の表面に当たった雨水が一箇所の樋に流れます。
他の部分の雨はケラハ天井部、片棟天井部で覆われた壁部に当たります。
(
近頃、流行の軒の出の無い建物は直接雨が壁に当たります。)
そのため切妻・寄棟屋根よりも外壁が劣化し易いという弱点があります。
更に開口部(窓・妻部換気口)や外壁材の接合部などに雨水が直接当たる頻度が多くなります。
②雨漏りし易い
片流れ屋根は一枚屋根で接続部分がないため、雨漏りし易いと言われています。
しかし屋根に当たる自然風は屋根面積の大きい端部(軒先部・ケラバ部・棟部)を劣化し易くします。
その為風雨の激しい時にはこれらの箇所での雨漏り機会を増やします。
③換気が悪い(特に勾配天井の場合)
切妻屋根や寄棟屋根は換気効率の良い棟換気で小屋裏の換気を行います。
片流れ屋根も天井の有る箇所は桁面や片流れ換気役物での換気が可能です。
ただ、勾配天井の場合は室内天井が高いため、換気は必要で無いと皆勘違いします。
皆とは住宅に関わる3(設計士・施行者とお施主様)です。
換気の基本は空気の入口と出口を造る事、則ち通気が可能な道を造ることです。
特に勾配天井「片棟部」で湿気が溜まることが多いのです。

           片流れ屋根の説明


私にとっての「片流れ屋根」はやはり立原道造の「ヒヤシンスハウス」です。
「ヒヤシンスハウス」は立原道造の夢の別荘で、さいたま市の別所沼に2004年立原道造ファンの有志により建てられました。私も10数年前、仕事で筑波に行ったに見学したことがあります。立原道造は大正3(1914)東京に生まれ昭和9年(1934)東京帝国大学工学部建築学科に入学しています。建築学科では岸田日出刀の研究室に所属して、丹下健三が1学年下に在籍していたと言うのです。東京大学在学中には建築の奨励賞である辰野賞を3度受賞した秀才です。辰野金吾は先のイケモトブログ番外編「辰野金吾の『奈良ホテル』」で紹介した人です。また、立原道造は早くから堀辰雄、室生犀星などの文学者と交流もしています。
   
     ヒヤシンスハウス外観立原スケッチ                  ヒヤシンスハウス全体立原スケッチ

偶然にも高校の時から立原道造が好きで愛読していたのです。
他の友人たちは「中原中也」派が多かったのです。
特に初期作品の「鮎の歌」や『ゆふすげびとの歌』などです。
学生の頃「立原道造」を訪ねて信州に旅行をしています。
何処かで「道造」に出会うかもと思いながら、50数年も前のお話です。
良くは覚えていないのですが、 広島 → 大阪 → 松本 → 野尻湖 → 長野 →上田
 →別所温泉 → 信濃追分 → 油屋 → 軽井沢 → 浅間山 → 「鬼の押し出し」 等です。

     学生時代の信州旅行足跡


昭和12(1938)、石本建築事務所に入所した道造は「豊田氏山荘」を設計しています。
(
豊田氏山荘は切妻屋根です。)
そして私が最も影響を受けた詩集『萱草に寄す』や『暁と夕の詩』が出されます。
イタリア調ソネットで(十四行詩)に音楽性を託したもので文章の書き方の参考になるリズムです。
「道造」は亡くなる少し前には奈良から京都、舞鶴、松江と私の田舎を旅した「長崎ノート」を記しています。
「道造」はこの時期より前に、信濃追分、軽井沢、浅間山に行っています。
下の「道造」のスケッチは、私の信州旅行時の浅間山「鬼の押し出し」からの光景にダブリます。

  無題[浅間山麓の小学校]の立原スケッチ


萱草に寄す(立原道造)

 はじめてのものに

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた


      別所沼模索ヒヤシンスハウス



道造の鉛筆・ネクタイ・窓という小文が残っています。
この小文はヒヤシンスハウスを描いたものとされています。

僕は、窓がひとつ欲しい。
あまり大きくてはいけない。
そして外に鎧戸、内にレースのカーイテンを持つてゐなくてはいけない、
ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない。
窓台は大きい方がいいだらう。
窓台の上には花などを飾る、
花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。
そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。
湖水のほとりにはポプラがある。
お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐる。
湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし青の強い色だ、
そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、
その雲ははつきりした輪廓がいくらか空の青に溶けこんでゐる。
僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に座つてうつらうつらと睡つてゐる。
タぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。
僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。……

グーグルで見ると「片流れ屋根」の「ヒヤシンスハウス」半分は樹木に掛かっています。
見えている屋根へは冬場の放射冷却
でかなり冷やされるものと思われます。
この建物での軒天の傷みは如何かと気になるところです。

  別所沼の模索ヒヤシンスハウス(グーグルマップ)


アントニンレーモンドはチェコソロバキィア生まれです。
1910
年にアメリカへ移住して、姓をレーモンドに改姓しています。
フランクロイド・ライトの事務所に入所して、1919年、帝国ホテル設計でライトの助手として来日します。
今でも有名なものには軽井沢のイタリア大使館中善寺保養所があります。
下の写真の「片流れ屋根」はレーモンド設計の「夏の家」です。(長野県軽井沢町、1933年)
元々はレーモンドの夏の事務所としても使われていたようです。
その後、日本火災海上宿泊施設として使用され、軽井沢タリアセン敷地内に移築されました。
今はペイネ美術館として一般公開されています。
軽井沢にあったこの建物は立原道造が大学に入る前に出来ています。
道造は何らかの伝でこの建物を見ている可能性はあります。
何となく「ヒヤシンスハウス」を連想しそうです。
   
       アントニオレーモンド「夏の家」                    「夏の家」(現ペイネ美術館)
「ヒヤシンスハウス」は別名「風信子荘」と言い、ギリシャ神話から来ています。
「風」は立原道造を語るキーワードです。
別の意味で私も「風」を追い続けています。
このブログも「建物の外部環境に関わる資料」からの流れ「竜巻」「速度圧」「台風」「換気」「通気」等のお話です。
余談ですが私も25歳の時、立原道造と同じ結核になり入院しました。
結核の予兆としては「空咳」が出、「夕方に微熱」が出、「夜中に寝汗」が出る事です。
「パス」「ヒドラ」「ストレプトマイシン」 + 「?4種の薬で、
なんとか早死にすることは免れました。
?」は当時医者からは教えていただけなかった試供薬です。
高校の時の友人からは「いくら好きでも同じ病気にまでならなくても」と揶揄われたのです。
「片流れ屋根」から50数年前の事を色々と思い出しました。

どうもありがとうございました。