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2026.06.06

番外編 松竹座歌舞伎『さよなら公演』②

顧問の坪内です。

いつも池本工務店の事業にご支援いただきありがとうございます。
お弁当を頂いて少し館内の探索です。
館内案内書には女子トイレは豪華に出来ていて
一度は覗くようにとの案内でしたが、
さすがに殿方の及ばぬところでしょうから遠慮します。
さて、周囲の壁には中島千波画伯による
四季折々の花鳥風月の世界を描いた絵画が飾られています。
足を止めて絵画に見入っている方も見かけました。
ロビーの売店にはお菓子や歌舞伎グッズなどのお土産品がずらりとあります。
この様な品も基調になるかも知れません。
そろそろ休憩時間も終わりますので自席にかえります。


      お土産の品々(松竹座HP)


歌舞伎の舞台で使用される3色の引幕を定式幕(じょうしきまく)と呼びます。 引幕とは客席と舞台を区切るため舞台の端から端までいっぱいに引かれる幕のことを指します。芝居の幕開きと終幕に用いられます。「定式」とは「いつも決まった形」という意味で、歌舞伎など舞台では良く使用される言葉です。 大道具で「定式幕」といえば「いつも使う幕」といった意味から定着した呼称です。定式幕の歴史は江戸時代から始まります。 江戸時代、芝居小屋における引幕は、「江戸三座」(中村座・市村座・森田座)と呼ばれる官許(幕府の許可)の芝居小屋だけに使用を許可されていたものでした。その他の子芝居では引幕の使用を許されていませんでした。 この「江戸三座」で使用されていた引幕が現在の定式幕に踏襲されているのです。成程この幕は森田座さん系統のものなのですね。(MAKUSHOPコラム出典)

  『松竹座』の観客席と「定式幕」


続く『大當り伏見の富くじ』は、平成24(2012)年に大阪松竹座で生まれた喜劇です。
(あらすじは『大當り伏見の富くじ』HPを参考に)


伏見稲荷で紙屑拾いをしているのは主人公で、落ちぶれた幸次郎です。
元々、幸次郎は質屋「佐野屋」の若旦那でしたが店が倒産して紙屑拾いとなりました。
幸次郎はお店再興するためせっせと働いています。
神官に富くじを買うよう助言されます。
当たれば
1等が1000両!今でいういち置く円(1億円)以上の価値があるのです。
しかしその富くじを買うのに元手籤に金が掛かり、あきらめなければならない幸次郎なのです。
屑拾いの途中、幸次郎は京都・島原(江
戸時代の三大遊郭のひとつ)の花魁道中に出会います。
その時遊
女の鳰照太夫にひとめぼれしてしまいます。
花魁道中には熊鷹のお
爪たちも一緒に行列しています。
その晩、伏
見にある豊後橋の河原掃除の当番となった幸次郎が掃除をしています。
鳰照のことで頭がいっぱいな幸次郎の
足元に何やら紐が絡まります。
それは
革財布の紐で、中を調べると何と大金が入っていました。
橋の下には「ワシのものはワシのもの、川のものもワシのもの~」
という河童が棲んでいました。
幸次郎は
水中での河童と戦います。
見事に五十五両二分一朱入りの皮財布を取替して家に帰ります。


『大當り伏見の富くじ』のひとコマ(松竹HPより)


幸次郎の住む長屋に友人の芳吉と喜助がやってきます。
幸次郎の妹お絹が応対しています。
そこに皮財布を持って慌てて帰ってきた幸次郎は
2人を追い出します。
お絹に先ほど
見つけた大金を出して「これで店の再興が叶うぞ」と兄妹で喜びます。
しかし次の
日、幸次郎は鳰照太夫に会いに島原の遊郭 白鷺楼に行ってしまいます。
幸次郎は素性を偽り、
羽振りが良い恰好をしているのです。
熊鷹のお
爪から、神官が話していた高額な富くじを買わされてしまいます。
そこに島原の太夫 千
鳥が泣きながら飛び込んできます。
身請けを約束していた旦那が財布を落としてしまったというのです。
幸次郎は、それは
自分が拾った革財布であると察知します。
持っていた
小判をすべて千鳥に渡してしまいます。
ここは伏
見稲荷の門前、妹のお絹が旅人をもてなすため
茶店の切り盛りをしています。
絵師の雪舟斎も一服しています。
近江
水島藩の黒住平馬がやってきました。
お絹に
一方的に好意を抱いている平馬です。
お絹となんとか佳い仲になろうとしますが相手にされません。
そんな様
子に、熊鷹のお爪が平馬へ入れ知恵をします。 
数日後、伏見稲荷に参拝しに来た鳰照太夫と平馬が話をしています。
その話を陰できいていた幸次郎は
立ち去る際に
身につけていた御守りを落としてしまいます。

その夜、白鷺楼を訪れた幸次郎は鳰照太夫から
伏
見稲荷で落とした御守りを手渡されます。
なぜか幸次郎が紙屑屋であることを
言い当てます。
幸次郎と鳰照太夫は元々深い縁がありました。
鳰照は苦渋の決断で幸次郎に別れを告げたのです
…

『大當り伏見の富くじ』のひとコマ(松竹HPより)


橋の上で今にも身を投げようとしています幸次郎です。
そこへ鳰照の飼い犬である小春が来てなぐさめてくれます。
富くじの当たり番号が発表になったという町の噂がたちます。
当選番号はなっなんと「せんひゃくじゅういち番」です。
そうです。1等を引き当てたのは幸次郎なのです。
嬉しさのあまり気が動転し、あり得ない行動をとってしまいます!
自分の富くじを懐から出して小春とともに番号を確かめながら弁当箱に隠し、
その弁当箱を商売道具の屑籠に入れて浮かれ、踊っていました。
そして興奮のあまり、幸次郎はその屑籠を川にえいっと放り投げてしまったのです。
ああああっ、なんたるアホか、千両の富くじを捨ててしまった幸次郎は
お絹に「アホやアホやと思うてたけど、ほんまにアホになってしもたわ」
ここから悪人どもが絡んで富くじのすったもんだがあり、
富くじは無事幸次郎の手に戻るのです。

これからは古畑任三郎の音楽が流れたり
マツケンサンバなどを踊ってのフィナーレとなって行きます。
最後は大阪喜劇風に納まる芝居なのです。
私達は喜んで拍手喝采でありました。
東京者には評判の悪い事もあるらしく、
ジクリ・ジクリの舌評も散聞しています。
緻密な仕組みの関東とアドリブ命の関西、
緻密な笑いを織り込んだ
『大當り伏見の富くじ』歌舞伎
「関西はこれで好いんじゃ」誠に楽しい歌舞伎で御座いました。


『大當り伏見の富くじ』のひとコマ(松竹HPより)


皆、一斉に帰り支度です。
すこし座って、ミラノのスカラ座の気分を味わいます。
スカラ座は数々のオペラの上演が行われたようですが、
この松竹座も大阪では100年もの昔から映画・演劇・歌舞伎等に
使用され、観客を楽しませてくれた歴史を刻んだようです。


     『松竹座』の2階観客席


来た時とは異なるエスカレーターに誘導されて
1
階ロビーに下りて行きます。
ふと窓の外を覗くとミラノの街中です。
というような事は起こりませんでしたが賑わいある道頓堀街です。
今では8割ほどは外国人と言われていますが、
今日は「松竹座のさよなら公演」なので日本人が詰めかけています。


『松竹座』のエスカレーターからの道頓堀の賑わい


劇場の一番奥の壁には、フランス人画家ベルナール・ビュッフェによる「暫」がさよならをしてくれました。
白い大理石の壁に浮き立つような鮮やかな色彩に目を見張ります。
ベルナール・ビュッフェは1928年パリに生まれ、第2次世界大戦後のフランス画壇に彗星のごとく現れました。
1948
年、弱冠19歳にして画家の登竜門として最も権威あるクリティック賞(批評家賞)を受賞します。
強靭で鋭い線描と独特の色彩で当時の社会を描いたビュッフェは、瞬く間にピカソの活躍を凌ぐ勢いで一躍画壇の寵児となり世界を席巻しました。1971年にはフランスの最高国家勲章であるレジオン・ドヌール勲章を受章します。


    ビュッフェ作『暫』(松竹座HP)


ビュッフェは、日本を含め抽象絵画が全盛であった時代に新な具象絵画の地位を確立します。
1952
年からは毎年テーマを決め新作を発表し続けます。1999 年、最後の作品テーマ「死」を完成させたのち自ら人生に幕を下ろしまた。また、ビュッフェは大変な親日家として知られており、幾度となく妻アナベルと共に来日しています。なかでも関西の地にはゆかりが深く、1988年には歌舞伎座100年記念として描いた歌舞伎の大作『暫』100cm×300cm)がここの正面エントラスに納めてられています。(
ウィキペディア参考)
ロビーには「懐かしの松竹座の歴史の写真が掲げられています。」さすが100年の歴史です。
この様な写真には私は写っていません。
私が通ったのはこの『松竹座の地下2階』です。


   「松竹座」の100年歴史の写真展


松竹座の地下にある「たちばな」は海外から来られたお客さんと食事しました。
30
~40年前のお話です。
その頃通った「たちばな」は難波界隈に3軒ありまして。
1
軒は南海電車の高架下であまり大きくはなく粋な小料理屋風で。
2
軒目は高速道路東側のビジネスホテル地下1階で、夕方はサラリーマンで一杯でした。
そして、3軒目が少し広めなこの松竹座の地下2階です。
ここは「お刺身良し」「串カツ善し」「鍋物好し」でしたな。
今は3軒とも「知らんけど」なのです。

帰りに地下2階のお店の看板を探して見ると「たちばな」がありました。
他の2軒と同じようにここの「たちばな」も閉店してしまうのでしょうか


「松竹座」地下2階の「たちばな」案内看板


100年前の道頓堀界隈の写真を見ると、
建物や人々の服装は異なりますが、
この賑わいは同じ様に思えます。
イタリアのミラノもこんなもんなんでしょうか。
今では外国人が8割近くいるとは100年前には考えられない現象です。


道頓堀の賑わい・100年後はどうやさ


道頓堀名物『かに道楽』や『がんこ寿司』の看板が見えます。
そう言えば新世界の『づぼらや』の看板は無くなりましたな。
さようなら「松竹座」。

ありがとう「松竹座」。

ありがとうございます。